2015年10月15日木曜日

極端から極端を揺れ動く子どもたち















胸を鍛える運動をすれば胸が逞しくなる。
脚を鍛える運動をすれば脚が逞しくなる。
当たり前です。
同じように、アルコール依存症者の子どもたちには、共通した問題が起こります。

その際立った特長は三つあります。

・コントロールする
・信頼しない
・感情を抑え込む

自身の考えや感情の発露にもコントロールを行います。否認、抑圧がが日常的に行われます。
一方でコントロールができない場面では、過剰すぎる不安から用心深くなり、極度の恐怖感に苛まれます。どうすれば対処できるか懸命に探し回ります。

信頼しない点では、自他共に信頼しません。不信の原因ははっきりしています。
アルコール依存症者の子どもたちが、親から繰り返し言われ続けることは、明白な事実の無視の強制です。たとえばアルコール依存症者の父親が玄関で酔っ払って寝ていても、家族が否定します。これを繰り返されると、自分の解釈に自信がなくなっていきます。ここで葛藤が起こりますが、親の保護が必要な子どもは無条件に受け入れます。

こうして自分の解釈に鈍くなり、自分を信じられなくなってしまいます。成人して、だれの目にも明白なことであっても、すんなり受け入れることが困難になります。生きるための判断に同調するしかなくなるので、自身の瑞々しい感覚は鈍っていきます。

「感情を抑え込む」は、危機的な事態で、本当にしてほしいことを親に伝えたくても伝えられないために自分の感情を抑え込むことが当たり前になります。この経験から学ぶ悲劇は、「自分の欲求は他者の迷惑になる」という間違った気配りを当たり前にしてしまうことです。
裏返せば自分の願いを他者に伝えることは、自分の危険になる。という防御を強める考えに至ることです。

この三つはひとつになり、自分の欲求を満たしてくれる人に出会うと、依存的になり、それゆえに「悪い」と負担を感じてしまうことです。コントロールが過剰な用心深さから起こっているなら、依存は過剰な安心から申し訳なさ、つまり自己否定感を感じるのです。

このように極端から極端にぶれながら、常に自尊心を弱める構造から抜け出すことが困難な状況に住み続けてしまうようになります。



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