2015年10月16日金曜日

アルコール依存症とアルコール飲酒量は関係ない



アルコール依存症というとへべれけに酔っている状態を想定しますが、量は関係ありません。普段は全く飲まず、たまに少量の飲酒で人格が変わってしまうのも「アルコール依存症」です。


ですから、実は「アルコール依存症」なのに気づかれない人もいます。逆にへべれけに酔っていても、普段と人格が変わらない人もいますが、この場合「アルコール依存症」には該当しません。楽しく飲む人に「アルコール依存症」はほとんどいません。

同じことは他の依存症にも言えます。たとえば結婚していて普段は何もありませんが、妻が実家に帰ったり、旅行に出かけたり、家を空けるとスイッチが入ってしまい、風俗に行ったり、浮気するというのも、「セックス依存症」の可能性があります。この場合も量ではなく、「妻がいない」状況になると頭がセックスで埋め尽くされてしまい、人格なり、行動が変わる、自律できないのが依存症なのです。

「アルコール依存症」がそうであるように、酩酊具合が問題の本質ではなく、人格が変わることが問題なのです。
昨日は膝に置き「おまえはいい子だね。かわいいね」と言ってるかと思うと、今日は「おまえは可愛くない。おまえのせいで我が家はドタバタ、忙しい」と言い出すように、めまぐるしく変わります。子どもは昨日と違う父親に慌て緊張します。

「いつ変わるか?」予測できない豹変ぶりに、子どもがエネルギーを使い果たします。子どもは毎日が恐怖です。祈るように過ごすかと思えば、無頓着に過ごせる。こんな日々の繰り返しは自分が大切に扱われる存在であることを忘れさせます。

人としての当然の人権さえ忘れさせてしまうのです。このような経験をして成人すると、DVを受けていてもそれを不当と思わず我慢し、たまに受ける穏やかな時間に安堵し「本当は良い人なんだ」とDVを受け入れてしまいます。

なにより穏やかな人柄に物足りなさを感じ、めまぐるしく人格の変わる相手を選ぶことで、子ども時代の習慣を受け継いでしまうのです。深海魚は深海でしか生きられないように。

このような不幸から脱皮するには、辛い因果関係をひとつずつ解いていく作業が必要です。それには我慢するのではなく、SOSのサインを出すことです。そうしないと負の連鎖はいつまでも続いてしまうからです。反面教師ということもありますが、深い愛情が注がれた場合に限られることを念頭に置いておきましょう。

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