2015年10月17日土曜日

「すべてか無か」で測定する習慣を捨てられない



アルコール依存症者の子どもたちは、コントロールがどうしても必要であるように、「すべてか無か」の物差しを持って問題に近ずきます。本来最も親密な関係である親と親密な関係を体験できなかった子ども時代の体験から、親密な関係で適切な距離感が保てないため極端から極端の間をウロウロせざるを得ないのです。つまりすっかり信頼するか、全く信頼しないかです。

成人して社会人をしてバランスがとれた生活をしているにもかかわらず、この問題は理屈で理解できません、彼らは子ども時代に親から学んだことは、感情は即行動になるという習慣です。怒りの後には暴力を体験した呪縛が忘れられないからです。

健全な家庭では怒り、つまり感情が表現されても、思慮分別が次に来るので、感情がそのまま行動になることはないからです。つまり太いグレーゾーンがあるものですが、その空間がない状況で過ごしてきた「負の遺産」なのです。この問題は、とても大きな恐怖になります。

ついさっきまで笑いが飛び交っていた楽しい環境に身を置いていたかと思うと、怒りが表現された瞬間、暴力が自分または家族の一員に迫るとしたら、無防備になれる時はないのです。ですからそれを避けるためにコントロールを覚え、「すべてか無か」で待ち構える心情は理解していただけると思います。

グレーゾーンのない「すべてか無か」の体験は感情の混乱に発展させるだけでなく、マネジメントに欠かせない「マイルストーン」の概念を分かりにくくしてしまいます。


彼らはこの学びを、誰もがしているものと思い込んでいるので、それが当たり前だと思い込んでいます。なので人間関係とはそんなものだと思い込んでいるので、平穏な家庭環境にいると抑うつ気分になり、アドレナリンを求め、トラブルを求めるようになります。

親密な関係、重要な関係でなければ、なんとも思いませんが、これが親密な関係のなかで起こるので、アルコール依存症者の子どもたちの不幸に発展することも少なくないのです。アドレナリンなしに愛情を感じることができないのです。



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