2016年2月20日土曜日

アルコール依存症者に奪われた「自尊心」を取り戻せ

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京都 三条大橋 鴨川


アルコール依存症者に奪われた「自尊心」を取り戻せ

 アルコール依存症の親を持つ成入した子供たちの多くは自尊心が低い。自尊心が低くても家族のあり方を考えたら驚くことはなにもない。無視され、誰も頼りにできる人がいなかったこと、こどもであるより前に大人でいる必要があったこと、自分の感情、知覚を信じないように言われたこと、自分のことはいつも後回しだったこと、彼らの多くの体験が自尊心を低めた原因だと理解できる。

 アルコール依存症の家族にいる子供の欲求、要望が優先的に叶えられることはめったにない。無数の約束を破られてきた。アルコール依存症の家庭では子供は大切な人ではないのだ。「お前がいなければ、お母ちゃんやお父ちゃんは喧嘩することはない」「お前がいなければ、お母ちゃんやお父ちゃんは酒なんか飲むことはない」とさえ言われてきたかもしれない。

 回復していないアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは自尊心が低い傾向にあるが、「アルコール依存症の家族」でなくても、このように否定的メッセージを与えられて育った子供なら、自分に好感を持てるようになることが不思議でない。

 しかし、少し視点を変えてみると、だからこそ自分のことをより多く学ぶことができるのだ。そして自分を受け入れることができる。

 自尊心を高める方法は、思うほど難しくない。

 すべてか無かの行動に挑戦し、コントロールの問題を見つめ、これまでの生活習慣を変えて、暮らしの基礎を再構築し、自分自身に思いやりと注意を払えば、自尊心をゆっくりと取り戻すことが出来る。
 自尊心とは、自分を大切にする行動を実践する副産物にすぎない。自尊心だけを高めようとして高められるものではない。

ライフスキル講座」を受けて自尊心が強くなったのは、新しい方法で自分や他人を見つめる努力をした結果である事実を忘れてはならない。ほとんどの場合、変化は二歩前進して一歩後退するものである。

ライフスキル講座の途中で何度も変化したと感じる。そして自分に敬愛と尊敬の念を感じるだろだが、そのすぐ数日後には、背骨がへし折られるような気分になるだろう。その時、あなたは全く何の進歩もしていないように感じる、自分に誇りを持てやことがいかに浅はかな誤解にすぎなかったと考えて、ガッカリするだろう。しかし、そのとき「すべてか無か」の結論を出さないように注意するのだ。
その機会こそが、二歩前進して一歩後退から、ふたたび二歩前進するチャンスなのだ。「すべてか無か」の罠に落ちずに乗り越えるのだ。

 今起こっていることは、この先も同じように起こるはずだと思い込まないようにしよう。非難ばかり横行する雰囲気の中で、自分をどのように好きになっていいか分からない。非難は他者から起こることもあるが、自分の内側から起こる場合も多い。
自尊心を低下させる状況に度々陥ると、自尊心を高めたり維持したりするのが難しくなる。始終傷つけられているように感じる人間関係は、自尊心を低い状態に置く関係である。

 否定的な関係がいかに巧妙に仕掛けられるか、父親が違う姉妹の関係で、その女性の話では、妹が傍にいる時はいつも、自分のほうが悪いときまって思わされたのだ。
 ある日、彼女が妹とふたりで遊んでいたとき、自分がしていたとことと、妹がしていたことには何の関係もなかったが、妹が自身の失敗で泣き出すと、彼女は父親から激しく叱責され殴られた。父親は夫婦間の問題でストレスを抱えていて前夫との間に生まれた姉に八つ当たりをしていたのだ。

 この恐怖は夜には酒が関係してさらに強まる。何気ない言葉のひとつが全く身に憶えのない怒りの動機になるのだ。脈絡がなく突然の変化が家庭内を走ったかと思うと、激しい言葉とほぼ同時にモノが飛び、悲鳴が起こる。そして「こうなったのはお前のせいだ」と叱責されるのだ。

 なにかをすることに臆病になっていくのだ。静かになにもせずに、死んだ兵士のように息を潜める。これが習慣化したまま成人になっていった子供たちが、自尊心を考える余裕などない。今日が無事になにごともないままに過ごすことができれば、なによりもの「成功」なのだ。

人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。

この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。決意で変化は起こせない。道に迷ったときに必要なのは、努力ではなく、地図なのだ。なにが成功かを意識しよう。うまくいかないとき、自分を責める理由に根拠があるのか、ないのか、冷静に分析する習慣を持とう。

 そして、自分を応援してくれる人たちに取り囲んでもらうようにしていこう。こども時代に築けなかった自尊心を築く地盤が作れる。いくつであっても、無邪気な子供っぽさを大切にしよう。同時に他者のためでなく、自分の責任を引き受ける権利も取り戻せる。それらはすべて自尊心を育む栄養になる。

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2016年2月19日金曜日

碧いうさぎの戦い

2009年8月07日付の新聞が衝撃的なニュースを報道しました。

華やかな経歴を持った女優がひとり、去って行った。
大原麗子孤独死」のステレオタイプな見出しに、テリー伊藤氏は怒りをぶつけた。さらに一般の方々が「孤独死」に萎縮してしまうと訴えた。
テリー伊藤氏に拍手喝采したい気持ちにかられました。

大原麗子自身が選んだ終わり方に反して、「こんなものでいいでしょう」とやっつけ仕事が巷にあふれている。知る限り、テリー伊藤氏と同じ意見を聞いたことがない。

その一方で、同じ日、のりピーこと酒井法子逮捕というとんでもない事件が起こった。善良な心を持った人々にショックを与えた。
ナニを信じたらいいのか、信じる事の危うさを植え付けたといっても過言ではない。

自ら出頭した酒井法子の対して、同じテリー伊藤氏が、今度は甘やかしすぎだと怒った。ひとりで解決しようとせずに、終始誰かのサポートを受けながら収束に向かうのりピーへの苦言だ。

「犯罪者」の烙印を捺されてもなお、優しい視線を投げ続けるのりピー所属のサンミュージックプロダクション社長にも「その愛情が彼女をダメににする」と切って捨てた。厳しい言葉のなかにテリー伊藤氏の強い愛情が感じ取れた。

しかし、14歳に芸能界入り、デビューから挫折に至るニュース映像を観た瞬間、酒井法子に同情を禁じえず、愛情ある叱責は間違いでないけれど、疑問も持った。

マリリン・モンローを思い出した。
酒井法子は4歳で母と死別し、実の父親とも別居。親戚を転々としたという。つまり物心ついた頃から両親がいない状況で転々としながら暮らしてきたという。実の父親はその間別の女性と交際、結婚して一子を儲けている。彼女はその弟を知らなかったという。その父親とも18才で死別。

オーディションに落ちた酒井法子サンミュージックプロダクション社長が引き受けてデビューにこぎつけスターに押し上げた。
15歳の酒井法子の明るく朗らかな態度とは裏腹な悲しい実生活とのギャップは異様としか言えない。

自分を守るために、いい子になって生きて来た女の子は仮面をかぶることに慣れていたように感じる。仮面をかぶり続けた少女が、太陽なようなアイドルの仮面をかぶることは歌うことより、簡単ではなかっただろうか。

彼女が所属したサンミュージックプロダクション社長は、芸能界における彼女の気遣いのあり方に触れて、信じてやりたいというようなことを言った。
それが間違いだと言う人もいるが、彼女に関していうなら、それでもなお、信じてあげることが必要なのだと思う。彼女を救い更生させる方法は、信じてあげることだと思う。

人には自分にも分からない「ブラックボックス」がある。
どれほど人気があっても、生きるために演技を身につけた碧いうさぎには、本当の自分を知ったら人はみな自分を捨てると謝った確信を持ち続けただろう。持ち上げるだけ持ち上げて、一旦なにかあるとよってたかって叩く村八分的な攻撃に、彼女もさらされるのだろう。

のりピーが確信したかった思い込み通りの結果になるかも知れない。今回の事件は未解決な問題がもたらす災いの前兆に過ぎないのかも知れない。家庭のイメージもなく、子育てのイメージもない人が平凡に生きることは難しい。

なによりもつらいのは、イメージができない、普通が分からないことだ。
これは「アルコール依存症者の子どもたち」に共通して通じる悩みなのです。

今回の事件で、自分のこどもに自分のこども時代と同じ境遇を再現したことに、のりピーの身についた生きる構えがある。これこそのりピーのイメージだ。

しかし、負けてはいけない。助けを求めて、サポートを受けながら、ライフスキルを身につけながら健全な暮らし方を身につけていくことだ。

今回の事件の背景にどんなことがあっても、よくないことはよくない。それでも信じてあげることが大切なのだと思う。「よく、がんばったね。」と認めてあげることから、のりピーの再生は始まる。支援するファンに応える唯一は罪の償いを果たして本当の幸福、つまり自立・・・なれる最高の自分になることだ。碧いうさぎの戦いは続いている

2016年2月18日木曜日

乗り越え続けた強さを克服に使う

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京都 清水寺



 アルコール依存症の親を持った子供には気苦労が耐えません。休日は平日以上に危険でストレスの強い日になる。

アルコール依存症者にとって朝から公にアルコール漬けになっても許されると決めている日なのです。

前日には遊園地に出かける約束をしてあっても、彼らの家庭では一貫性がなく変更は日常的だ。子供たちは機能不全に陥った家族のシステムを生涯使い続ける自分のルールとして継承してしまう。


その特異なルールが目立たないのは、彼、彼女たちが、決して家族のことを外に出さないように学習してきたらからだ。彼、彼女らは外面を気にする。家中、物が散乱していてもこぎれいに自分をこぎれいに見せることに長けている。

それは心身がボロボロに傷ついていても、幸福そうな表情ができてしまうことを意味している。治療が必要な状態でも平然と元気そうに装う。


 こどもから大人へ・・・・世界が変わっても、仮面を持ち込んで使い続ける。唯一彼、彼女らに明るい希望を見いだすとしたら、その才能だ。どんなに過酷な状況も、ほとんどひとりで乗り越えて来た力に希望を見いだせる。その強さをアルコール依存症の闇を克服する力に使えるからです。

苦しいだろうが、もう少し頑張り抜こう。
今度は自分を自分自身から解放するために使うのです。


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京都 清水寺界隈

2016年2月17日水曜日

アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?









アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?」とよく訊かれます。

自分はひどくおどおどしている。自分でもいやです。
自分はひどく変わっている気がする。
自信を持って話せない、行動できない。

・・・・・同じ現象に苦しんでいる人はたくさんいます。
しかし、現象は共通したものではなく様々です。

その一方で、アルコール依存症者の親のもとで育ったこどもの体験を話すと、「自分のことのように聞こえます」と言います。

特に人間関係では、似たような悩みのご相談を数多く受けます。そしてその苦しみに共感します。
ほとんどの人が心理的に共通した体験を持っていて、同じような不安と恐れを持っています。


だからと言って同じ体験をしているわけではありません。
不思議とも言えるその理由には、いくつかの要因があります。



・親のアルコール依存症が発症したときのこどもの年齢が違う
・両親ともアルコール依存症なのか
・片親だけの場合、父親か、母親のどちらがアルコール依存症者なのか
・家族の子供の人数と誕生した順番
・配偶者自身(共アルコール依存症)の回復のための努力の度合い
・身近にサポートする人がいるか
・身体的な虐待があるか
・性的虐待があるか
・家族の社会的な地位
・家族の経済力


同じ家族であっても、すべての子供が同じように影響を受けるわけではないので、その反応のバラバラ。例えば、ある子供はアルコール依存症の状態をはっきりと見て身体的な虐待を体験しているかもしれない。

しかし他の子は体験が乏しく記憶にないかも知れない。すると兄弟で親のイメージが違うことが起こってきます。

同じことは親にも言えるわけで、親の立場になれば、同じように育てたと思い込んでいます。しかしそんなことはないのです。


子供たちは状況に適応するために、それぞれに子供独自の方法を見つけ出しているのは珍しいことではありません。兄弟でもある子だけが特別に強い反応を示していることもあります。

個々に違いがある一方で、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは全体に共通して、情緒障害を起こし、自己否定感が強く不信感を持っています。